ラジオ体操
2008年07月30日
おとといから朝のラジオ体操が始まりました。第一も第二も忘れかけていた設楽町くにちゃんでした。
やっぱり子ども
が主役
いえいえ、お父さんも、お母さんも、がんばって(じいちゃん、ばあちゃんもいるね)
健康講座
2008年07月25日
「健康福祉講座」を受けました。
今回のテーマは「認知症の予防」。関心が高く、立ち見がでる状況でした。
この講座は保健福祉センターなどが主催していて、6月13日からはじまっています。
隔週の金曜日の夜に講話と運動の二部構成。会場はスイスイパーク。
10回の講座のうち8回出席すると、何かいいことがあるそうですが、設楽町くにちゃんはもう2回も欠席しているので絶望的。
写真は第一回目の講座の様子。
今回のテーマは「認知症の予防」。関心が高く、立ち見がでる状況でした。
この講座は保健福祉センターなどが主催していて、6月13日からはじまっています。
隔週の金曜日の夜に講話と運動の二部構成。会場はスイスイパーク。
10回の講座のうち8回出席すると、何かいいことがあるそうですが、設楽町くにちゃんはもう2回も欠席しているので絶望的。
写真は第一回目の講座の様子。
石油高騰
2008年07月23日
濡れタオルでしゅっと拭くと、木の表面のでこぼこがとれるそうです。プロの技!木のいいところでもあります。
汗びっしょりですが、笑顔の建具やさん。しかし、「石油高騰で廃業も考えている」、とはびっくり。
こんな業種にまで深刻な影響が出ているんですね。漁業者がゼネストをうちましたが、政府の無策ぶりは何たるチア(親父ギャグ)。顔で笑って心で泣いている庶民のことをもっと考えてほしいですね。
汗びっしょりですが、笑顔の建具やさん。しかし、「石油高騰で廃業も考えている」、とはびっくり。
こんな業種にまで深刻な影響が出ているんですね。漁業者がゼネストをうちましたが、政府の無策ぶりは何たるチア(親父ギャグ)。顔で笑って心で泣いている庶民のことをもっと考えてほしいですね。
煙水晶
2008年07月19日
鉱物愛好家が設楽町で採取した煙水晶。
スモーキークォーツともいうそうです。
写真は少し黒っぽく写ってしまいました。
これは(下)はただの水晶塊。
設楽町は鉱物が豊富な町らしいですね。
新装開店
2008年06月07日
ご近所の文房具屋さんがお店を改造しました。開店にむけて、ただいま準備中。なんか、こちらも元気になりますね。
「新装開店」というと、設楽町ではパチンコ店を連想する人が多いかも。これはれっきとした商店の新装開店です。
それほど、設楽町ではやめていく店が年々増え、新装するお店は珍しくなっています。
「苦しいときこそ、設備投資をする。これが商売の秘訣」とはこの商店主さん。なるほど。
がんばれ!設楽町商店街
がけ崩れ
2008年06月05日
昨日、瀬戸設楽線・大名倉地内の採石場の近くでがけ崩れがありました。
大小の岩石が道をふさぎ、復旧作業のため、今月14日まで全面通行止めとなります。
画面上部(暗い部分)の岩盤が滑落
大小の岩石が道をふさぎ、復旧作業のため、今月14日まで全面通行止めとなります。
画面上部(暗い部分)の岩盤が滑落
農業再生を
2008年05月31日
食糧自給率39%。
世界的な食糧危機のなか、輸入に頼っていたら日本はたいへんなことになる。
26日、農家のかたがたの意見を聞いてまわりましたが、「自給率向上は待ったなしの課題」と感じました。
世界的な食糧危機のなか、輸入に頼っていたら日本はたいへんなことになる。
26日、農家のかたがたの意見を聞いてまわりましたが、「自給率向上は待ったなしの課題」と感じました。
100年間ごくろうさまでした
2008年05月17日
旧田口小の枝垂れ桜が倒壊して、かたづけられました。
この桜は、小学校移転にともなって校舎が壊されたとき、惜しむ声がつよくて残されたものです。
以来20年、鉄パイプで支えたり、樹木医が手当てしたりしましたが、寿命がつき、ついに倒れました。
閉校記念誌「われらいなばが丘に学べり」によれば、植樹されたのが明治41年(1908年)だそうで、今年はちょうど100年目の年ににあたります。
「粟世(あわよ)桜」とよばれ、当時美しい桜の代表として、豊根村の三沢小からもってきたものを学校の中庭に植えたようです。
この年に義務教育が6ヵ年になり、いらい、多くの子どもたちを樹下に見守りつづけてきました。春夏秋冬、その姿は多くの卒業生の脳裏に焼きついていることでしょう。
この桜は、小学校移転にともなって校舎が壊されたとき、惜しむ声がつよくて残されたものです。
以来20年、鉄パイプで支えたり、樹木医が手当てしたりしましたが、寿命がつき、ついに倒れました。
閉校記念誌「われらいなばが丘に学べり」によれば、植樹されたのが明治41年(1908年)だそうで、今年はちょうど100年目の年ににあたります。
「粟世(あわよ)桜」とよばれ、当時美しい桜の代表として、豊根村の三沢小からもってきたものを学校の中庭に植えたようです。
この年に義務教育が6ヵ年になり、いらい、多くの子どもたちを樹下に見守りつづけてきました。春夏秋冬、その姿は多くの卒業生の脳裏に焼きついていることでしょう。